施設内虐待という言葉を出すと、
場の空気が緊張することがあります。
「そんなことを言ったら職員は何もできなくなる」
という声が上がることもあります。
その気持ちは理解できます。
“虐待”という言葉は強く、
これまでの支援を否定されたように感じやすいからです。
私自身も葛藤します。
このテーマを出すことで、
誰かを傷つけてしまわないか。
現場の関係性を悪くしてしまわないか。
それでも、扱わずに通り過ぎることはできないと感じています。
大人のほうが力を持っているという構造
忘れてはいけないのは、
大人と子どもでは力の差があるということです。
体格も、経験も、立場も、決定権も、
多くの面で大人のほうが強い。
だからこそ、
子どもの権利侵害は起こり得る。
そしてそれは、
「悪意があったから」だけで起こるものではありません。
忙しさや感情の揺れ、
「正しいことをしている」という思い込みの中でも、
起こり得るものです。
その可能性を認めることは、
自分を否定することではなく、
専門職としての姿勢だと思っています。
社会的養護だからこそ必要な視点
社会的養護の現場にいる子どもたちは、
すでに多くの傷つき体験を抱えていることが少なくありません。
だからこそ、
「ここでは守られている」という実感がとても重要です。
もし議論の中で、
子どもの権利よりも
職員の「守られたい」という感覚のほうが強く前に出てしまうとしたら、
それは少し立ち止まって考える必要があるのではないかと感じます。
もちろん、職員の権利も守られるべきです。
暴力や理不尽な状況から守られることは大前提です。
しかし、
大人のほうが力を持っているという構造の中で、
最も弱い立場にいる子どもの視点を後回しにしていないか。
そこを問い続けることが、
社会的養護の専門性ではないかと思うのです。
「何もできない」で終わらせない
「そんなことを言ったら何もできない」
その言葉で議論が止まってしまうと、
学びの機会も止まってしまいます。
どこまでが指導で、どこからが権利侵害なのか。
どうすれば子どもも職員も守られるのか。
勉強はできます。
振り返ることもできます。
仕組みを整えることもできます。
簡単ではありません。
葛藤もあります。
それでも、
感情だけで終わらせず、
問い続けられる現場でありたい。
それが、
子どもにとっても職員にとっても
本当に安全な場所につながると信じています。

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