―「最善の利益」をもう一度考える―
最近、現場を見ていて思うことがあります。
子どもの権利と、職員の権利。
どちらが優先されるのでしょうか。
社会的養護の現場では、「子どもの最善の利益」が最優先とされます。
それは間違いありません。
でも現場は、理念だけでは動きません。
暴力をどう捉えるのか
たとえば、子どもから職員への暴力があったとします。
ここでよく聞く言葉があります。
「この子は社会的養護が必要な子だから」
「背景を理解してあげないと」
もちろん、背景の理解は必要です。
暴力の裏には、必ず理由があります。
でも私は思うのです。
理解することと、許すことは違う。
社会的養護が必要であることと、
暴力を容認することはイコールではありません。
暴力は、誰に対してであっても許されない。
それは子どもであっても同じです。
職員の権利は守られているのか
子どもの権利は守られるべきです。
それは大前提です。
でも同時に、職員にも権利があります。
安全に働く権利。
尊厳を守られる権利。
心身を守られる権利。
現場では、ときにこのバランスが崩れます。
「子どものため」という言葉のもとに、
職員が我慢する構図が生まれていないか。
それは本当に「最善」なのでしょうか。
子どもと親の関係にも起こること
これは、子どもと親の関係にも通じると思います。
子どもの権利と親の権利。
そこでも衝突は起こります。
大人には、子どもを育てる義務があります。
社会に送り出す責任があります。
だからこそ必要なのは、
「自分は権利侵害をしていないか」
という視点です。
子どものためと言いながら、
大人の都合を押しつけていないか。
逆に、子どもの権利を守るあまり、
他者の権利を侵害していないか。
暴力を理解する。でも許さない。
私が大切にしたいのは、
暴力を理解すること。
でも、暴力は許さないこと。
背景に寄り添うことと、
行為を肯定することは違います。
その線引きを曖昧にしてはいけない。
子どもにとっても、
そして支える大人にとっても。
「最善の利益」は誰か一人の犠牲の上に成り立たない
本当の意味での「子どもの最善の利益」は、
誰か一人の犠牲の上に成り立つものではないと思います。
子どもも守られる。
職員も守られる。
その両立を目指すことこそが、
施設としての責任なのではないでしょうか。
現場はきれいごとでは済みません。
でもだからこそ、
理念を現実に落とし込む責任がある。
「子どもの権利」を語るなら、
同時に「大人の責任」と「大人の権利」も語る。
それが、私たちに求められている視点だと感じています。


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